カルマとは。心の中で思ったこともカルマになっちゃう? カルマ(業)を仏教的スピリチュアル的に考えよう。うまくカルマ回収してアセンションしたい!

カルマを気にしている人、多いですよね~

最近そういった、スピリチュアル寄りのことを考える人が
増えているように感じます。私自身も含めて。

neko

でもカルマと聞くと、なんか恐ろしい印象があるな
前世でやった悪事を、今世で償わされる
みたいな…

カルマ! 業(ごう)!
と言われるとそういう印象がありますね~

全然恐ろしくないという説もあるし
それも正しい。

恐ろしいものだと認識すべきという説もあるし
それもやはり正しいと思うんです。

neko

サッパリわかんないよ。
結局恐ろしいものなの? 恐ろしくないの?

まあ結局、捉え方によるってことになってしまいますが、
ひとつ言えるのは、
恐ろしいと考えるにしても、恐ろしくないと考えるにしても、
小手先ではどうにもならないってことですね。

恐ろしいから対策しよう!と思ったとしても
そう簡単に対策できるものじゃないんですよね。

だからって「対策しようがないから、もう考えない!」
と投げてしまうのは、危ういことかもしれない。

ちゃんと理解して、生き方を見直すようにした方がいい…
わけです。大変だけど。

ジャーマネK

毎日明るく挨拶する!とか、トイレ掃除頑張る!とか
わかりやすい対策があればいいんだけど、
生き方を見直すのはキツイかも~~

そうですよね。キツイです。
だから放置になってしまいがちで、でもほら、この時期大事な分かれ目だから、
カルマについて放置したことでアセンションできないことになると
ツライかなと思うわけです~

ジャーマネK

そうか、それはツライ!
生き方を見直さないとアセンションがヤバイなら
見直しを頑張ろうと思います、ハイ!

Kさんはアセンションに前向きで素晴らしいと思います。
私も頑張らなくては。

カルマは「さあカルマの対策しよっと!」と思っただけで
すぐ対策できるものでもないんだけど、

でも考え方を変えることで、生き方に対しての視点が変わり
カルマといいお付き合いをできれば、人生よくなると思います。

ということで今回はカルマについて。

カルマの法則全体は、とても広大深遠になってしまうので
今回は仏教におけるカルマを説明した後
スピリチュアルとの繋がりを考えてみたいです。

けっこう腑に落ちたり、ハッとしたりする人も
いてくれるといいなと思います。

よかったら読んでね。

宿命
目次

カルマ(業)は、行為という意味。仏教的に考えると…

カルマ(karma)の語源は、サンスクリット語です。
サンスクリット語とは、インドの古典語。

言葉の意味としては「業・宿命・(因果)応報」などになりますが、
直訳としては「行為」という感じのようなのです。

すべての行為は宿命であり、因果応報がある
―――というような
宗教的哲学的な文化を土台とした言葉なのでしょう。

neko

すべての行為が宿命であり、因果応報がある。
うーん深い…

そうですよね~
とても深い言葉であり、文化なのだと思います。

業(カルマ)と言う言葉は、
すべての行為がただの行為として切り離されたものではない
―――という考え方に基づいてるんですね。

行為は行為、宿命?何言ってるかわからない……という文化の中にいると
理解しにくい言葉だと思うのですよね。
言葉って難しいですね。

カルマは、仏教では業(ごう)と呼ばれます。

私は、まずは仏教におけるカルマ(業)の考え方が
日本人にはなじみ深いと思いますので、
まずは仏教のカルマについて簡単にまとめてみます。

【仏教における業(ごう)・カルマとは】
仏教では、業を3種類の「三業(さんごう)」と分けて呼んでいます。

・身業(しんごう)…(身体で)実際に行動する業
・口業(くごう)…(言葉で)言う業
・意業(いごう)…(心で)思う、意思を持つ業

この3つの業が一体となって、
何をしても(身業)、何を話しても(口業)、何を思っても(意業)
すべての業(=行為・カルマ)は自分に返ってくる
と言うのが基本の考え方です。

さらに、すべての業には
・表業(ひょうごう)…人に見られる、認知される業
・無表業(むひょうごう)…人に見られない、認知されない業
があり、

誰にも認知されなくても業はすべて
阿頼耶識(あらやしき)という蔵の心に蓄積されるそうです。

阿頼耶識に蓄えられた業は「業力(ごうりき)」として
業が結果として表れるまでずっと、蓄えられ続けます。
それを業力不滅と言います。

ジャーマネK

えーと、言ったことやったことが返ってくることは
知っていたつもりなのですが
思ったこともカルマなの!?
思ったことも全部返ってきちゃうの? ひえええぇ…

そうなんですよね~…
表に出る行動・言動だけがカルマじゃないみたいです💧

カルメ焼き

※これはカルマ焼き…じゃなくて型抜きの「カルメ焼き」です。おいしそうですね

行動・言動だけではなく、心に思っただけでもカルマになる?

カルマって「やったこと」ばかりに注目されがちだと思うんです。

イジワルしたら、イジワルされる。
殴ったら殴られ、殺したら殺される。
善行をすれば、善行をしてもらえる。
今世でカルマ回収できないと、来世に持ち越し。

カルマって怖いな。悪いことはできないな。
酷いことが起こったら、過去世のカルマの回収かも。
そこまで酷いことが起こらず、
そこまで酷いことをした憶えもなければ
カルマとかあまり気にしなくていいよね?

―――くらいの感覚で生きてる人が多いと思うのですよね。

でも、心に思っただけでもカルマになってしまう…

カルマというのは行為だから。
私たちが生きて行う何もかもだから。
自分がしたこと、思ったこと、感じたこと…
何もかも全部自分に返ってくるのだ!
――――と納得することができたら、それだけのことなんですが。

ジャーマネK

それだけと言われても……うううぅ…
何か悪いことを心の中で思ってしまったら、
どうしたらいいのかなあ…

そうですよねえ。多分なのですが、
アセンションしたい、波動を上げたいと思っても
どうにも内観できず、波動を上げていけない人が多い理由は
このあたりにある、と私は感じています。

過酷な地球生活ですので、悪意を持ってしまうのは
仕方がないところがあります。
悪いことを思ってしまうのは、仕方ないことなんです。
でも悪意を持つのはよくないことだ、という抑圧も強い社会なので
まず自分を誤魔化してしまう、自分を騙しちゃうんですよね。

悪意なんて持ってない、私は悪人ではなく優しくていい人、
さあ元気にワクワクしなきゃ!……とか無理に思っても
悪意が消えない、むしろ増幅してヤバイことになりそうです…

neko

自分を騙す人は
いつの間にか自分の心を抑圧して騙しちゃうんでしょ
自分では気づいてないんじゃないかなあ
気付いてないものを直すのは難しいよね

そうですよね。
悪意を口に出して言って、人を傷つけるのもよくないけど
心に思った事を抑圧するのはよくなさそうです。

何かモヤモヤがあったら、
できるだけ日記に書いてみるなどした方がいいかもしれません。

悪口になってしまったとしても、表面に出せば
「ああ私はこういうこと考えてるんだな~」
と客観視できますので。

心に思っただけでカルマになるのですから、日記に書いても同じです。
ただ、書けば自分の心を客観視しやすくなります。

日本人に多いと思うんですが
我慢強くて、怒りも悲しみも抑え込んでしまって
悪意なんか持ってない、持ってないもん!と
自分を騙してしまうのがよくない…

自分を騙すと、神様も騙せるならいいんですが
どうも神様は騙せずにカルマになってしまうみたいなので…
溜め込まない方がいい。出してしまった方がいい。

そして「私の中にもこんな気持ちがあったのね~」
と向き合うのが内観です。
向き合えば手放していけるんですよね。

neko

「悪口を言ってはいけない」に囚われて
悪意が心にあるのを抑圧してはいけないってことだね
心にあるだけでカルマなら、確かに
悪意の存在を認識しないと消すのは無理だろうね

そうなんです。ここは3次元で心に思ったことは人から見えない。
心に押し込んでしまうと自分自身でも見えにくくなる。
でも見えなくても存在している。

でも5次元以上になると心に思ったらそれは見える世界です。
どんなに抑圧して「そんな気持ちはないつもり」になっても
あるものはあって、見えてしまいます。
既に5次元以上の存在からは私たちの心の中が見えているようです…

まずは本音を自覚するところから始めないといけないかな。
でも、すべてを詳細に暴き出すまではしなくていいはずです。
浮かび上がってきたら、本音の存在を認識して
ホ・オポノポノでクリーニングすればいいと思います。

ホ・オポノポノによる、潜在意識のクリーニング方法について
書いた記事はこちら。part2・3もあります↓

あなたを宇宙に投げかける。あなたが宇宙から返ってくる。

そして、心の中にはいいこともありますよね。
愛や感謝の気持ちを持てば、それも自分に返ってくることになる。

行動や言動をよくするだけでなく、
心の中も悪意を隠さず綺麗にしていかなければいけない。
心の中をいいもので満たせば、いいものが返ってくる。

カルマって、恐ろしいシステムというよりは
自分の心の中にあるものが全て自分に返ってくる…
自分の潜在意識が具現化する…

スピリチュアルの考え方と繋がっているんです。

neko

カルマというと「殺したら殺される…!」みたいな
行動の部分で考えやすいけど
結局はスピリチュアルに繋がるんだね

そうなんです。まずはそこからだと思うんです。

私たちはエネルギーの存在であり、波動の存在であり、
世界に自分を投げかけながら生きていて、
投げかけた何もかもがすべて自分に返ってくる。


人を傷つけないようにしよう、悪口を言わないようにしよう
カルマになってしまうから悪意は抑圧しよう
私は悪いことは考えていないと思い込もう

――――というのは、ちっとも合理的ではなくヤバイかもしれない。

悪口ばっかり言ってるあの人も、
悪意を隠して溜め込むよりはマシかもしれない。

悪口を推奨するわけではないのですが、
案外、毒舌の人の方が波動が高かったりするのは
「表に出して、自分を見つめて反省し、手放していく」
システムが確立しているからかもしれない。

とにかく、隠して誤魔化して心の中に押し込めるのが
問題が大きいようです。

とにかく心の中をどんどん綺麗にして、
その上で行動や言動をよくしていけば、
全体的に人生はよくなっていく…
と考えるといいと思います。

カルマという言葉に囚われずに、
ああこの世界は、何もかも
自分の「心・行動・発言(意業・身業・口業)」が
自分に跳ね返ってくるだけ、

それだけなんだなと…

腑に落としていくことで、
そして「心・行動・発言」をクリーニングしていくことで、
「心・行動・発言」を愛や感謝に満ちたものにしていくことで、

どんどん人生はよくなっていく。
そういう風に私は考えています。


さて今回はそんな感じで、カルマの中の
心(意業)について重点的に考えてみました。

カルマについて迷路にハマっている人が多い…
と常日頃思っているのです。
カルマのことを気にし過ぎることで、逆にカルマに嵌る。
なんてことがありがちなんですよね。

テクニックでは逃れようがない。
全体的に、自分の「心・行動・言動」をよくするしかない。
という感じが伝わるといいなと思います。

カルマの話は今後も書くかもしれません。
本当に人生って、
奥深いけどシンプル過ぎる。
って感じですよね。

ぜひご一緒に、よりよい人生にしていって
アセンションなんかもできてしまったらいいなと思います!

読んでくれてありがとうございました。

幸せの青い鳥
宿命

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この記事を書いた人

ねこと申します。
都内山手線内側から、郊外立川エリアに引っ越してきた小説家です。
このあたりって、北欧みたいじゃない?と思う日々。
最近小説はちょっとお暇中。
ペスカタリアン、ゆる無添加、ちょいスピ?
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